くにうみの先見

日本の農業の巨大な可能性

日本の農業は、国内でバリューチェーン(価値連鎖)が完結する基本的に自立した産業に脱皮すれば、大きな成長可能性を秘めている。
第一に、日本は、「食」の市場としてみたときに巨大だ。消費者は多様なニーズと巨大な購買力をもっている。米づくりは売上二兆円の規模にすぎないが、食に関わる産業の売上は五二兆円、自動車産業を大きく上回る巨大産業である。日本人ほど食について貪欲であり、新しいものも伝統的なものも好み、品質と安全と健康と価格などのさまざまな要素にこだわり、あらゆる種類の食がそろっている国はない。
ビジネスとしての提供の場もデパート、コンビニ、スーパー、ファストフード、屋台、レストラン、料亭、ホテル・旅館‥‥‥と多様だ。
家庭における食もニーズが細かく分かれ、新しいものを好むかと思えば伝統に回帰するなどきわめて活発だ。テレビには料理と食べ歩きの番組があふれている。
市場規模が大きく多様であるということは、多様な食材の提供ができるということであり、農業には本来きわめて恵まれた国のはずだ。気候風土の変化に富む日本では、明治政府の統制以前には、米だけでも一六〇種類もありその効能が分かれていたという。野菜ももっと多様であった。二十世紀の画一化の中で衰退させられた伝統ある農品種を本格的なルネッサンス計画によって復活・発展させれば、伝統やふるさとへの回帰と健康生活の新たなニーズが生まれるだろう。農産物は、工業製品と違い消費者の国内産地へのこだわりが強く鮮度も大事だ。本来は国内生産が有利なはずである。しかも、輸入農産物の安全に対する国民の懸念もかつてなく高まっている。単に安さだけで選択するわけではない。国内農業の可能性は大きい。
第二に、農業以外の産業分野には、高度化する食への要求に応えるだけの世界有数の技術、人材、組織が存在する。ただ、農業には生かされていない。
品種・商品開発、安全性確保とトレーサビリティ、生産管理技術、顧客ニーズの発掘調査・販売促進・コミュニケーション、資金調達、輸送、IT技術、健康・医療効果の研究、などの経営要素に個々の農家が応えるのは難しい。
分業が必要だ。農協が提供すべき位置にあるのだろうが、現在の農協のビジネスモデルは統制経済時代の大量画一的な農産物提供を前提としており、多様で個別の要求に応えるのが難しい。
今後は、農協自体がそうした経営資源を必要とするだろう。農業生産にこうしたサービス提供がなされてこなかったことが、大規模化の失敗だけでなく、農業が他の産業に遅れてきた大きな原因だ。製造業・サービス業・研究機関などには農業の要請に応えられる技術・人材・組織が過剰なくらい存在しており、生産者を消費者に結びつけるサービス分野に導入すれば、日本の農業の潜在力が発揮できるだろう。
第三に、個別で多様な食のニーズに応える社会の体制が整ったことだ。宅配便や冷凍技術、ITを利用した情報交換と取引、などが発達したことから、かつての東京中心の大量集荷と販売に頼らなくても、多品種少量の産物を全国の消費地に直接届けられるようになった。多様化した消費者のニーズを生産者に結びつける手段はすでに社会的には実現している。農業のバリューチェーンがきちんとできれば活用できる。
第四に、社会全体での自然・環境・循環型社会への関心と行動の高まりである。経済行動を超えた土・緑・農・里山・田園・自然、への関心・欲求・渇望が都会生活者を中心として高まっている。田舎暮らし・市民菜園・セカンドハウス・農村交流・草刈十字軍・体験教育などの経験も広がっている。
そこにあるのは、経済的な関心よりも自己実現・生き方の発見、といった人間としてのより高度な欲求充足だ。体を動かし、関わること自体が満足であり、労働の対価どころかお金を払っても経験したいことだ。こうした動きを後押しし、より多くの人が実践できるような社会を作り、自然と環境と美しい地域づくりが進められる枠組みを作れば、そのための消費・滞在・観光・スポーツ・住宅・体験・健康・介護・教育・サービスなどの幅広い田園産業が成立し、それがまた田園の魅力を都市に対して高めて人と組織をひきつける循環が生まれるだろう。
このように、日本には農業発展の条件は整っている。農業が農ビジネスに変身して産業バリューチェーンを国内で確立するだけでなく、農業を取り巻く田園全体が都市生活者をひきつけて成長していくときに、農業と田園が二十一世紀のフロンティアに変身するだろう。

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