くにうみの先見

「石油経済」の誕生とその限界

石油がエネルギーの中心である「石油経済」は、20世紀初頭に当時世界最大の産油国であるアメリカから誕生した。石油という便利なエネルギー資源を見出したおかげで、アメリカを中心に、自動車社会や航空機による世界一周が実現し、生活に便利な石油化学製品や食糧増産のための農薬などが誕生し、人類に史上最大の経済成長をもたらした。
「石油経済」の前の世界経済は、石炭がエネルギーの主力であった「石炭経済」であり、その中心国家は蒸気機関を発明したイギリスであった。しかし、20世紀の世界経済は、「石油経済」の主役であるアメリカの時代になった。
しかし、一方で、「石油経済」は、世界に戦争と格差とテロと社会不安をもたらした。もはや「石油経済」を維持したままでは、世界は、持続的な成長どころか、安定と平和を維持することもできない。その根本原因は、石油が世界のごく限られたところにしか産出されず地理的に「不平等」で、一度使ってしまえば再生できないから「再生不可能」であり、近い将来必ず枯渇の時期が来るから「持続不可能」な点にある。
人類は、石油という限られた資源を奪い合ってきた。中東で石油が発見された19世紀末以降の世界の歴史は、石油の覇権争いによって大きく動かされてきた。中東へは欧米列強が殺到して、利権の確保に狂奔した。今からおよそ100年前に第一次大戦が終わると、中東やバルカン半島を600年にわたって支配していたオスマン帝国は西洋諸国によって解体され、主に英仏の石油利権の線引きに従ってイラク、クウェート、シリアといった国家が誕生した。今日の中東の混乱とヨーロッパへの影響の根本原因は、この時の「石油経済」を争う西洋の貪欲な植民地主義にあることは明白だ。
第二次世界大戦は、ヨーロッパの軍事的支配を目指したドイツと、中国大陸の侵略を進めていた日本が同盟することで世界に拡大したが、一面では、世界の石油資源をめぐる戦いでもあった。日本はアメリカから石油の禁輸を受けて対米開戦を決意し、ドイツはソ連の石油資源を狙って突然ソ連に侵攻した。第二次大戦は、連合国の勝利に終わったが、それで石油を巡る覇権争いが終わったわけではなかった。
第二次大戦後、中東の多くの国は、アメリカの積極的な支援を受けて、ヨーロッパの植民地支配から独立した。しかしその後、エジプトやイランによる石油国有化を巡って中東産油国と欧米との対立が始まった。1970年代のイランイラク戦争、1990年代の湾岸戦争、21世紀のアメリカへのテロ攻撃とアメリカのイラク侵攻、その後の中東の内戦と混乱と難民に至るまで、産油地域である中東は、世界の戦争とテロ、民族紛争、内戦、そして、難民の中心地域となっている。そして、中東の混乱は今、「イスラム」の装いをまとって、アジアにまで波及し、我々日本人も多くの犠牲者を出してきた。
80年代末の冷戦の終結によって世界は「歴史の終わり」を迎え平和の時代が到来する、というアメリカの歴史学者の予測もかつてはあったが、現実には産油地域での混乱が世界に拡散している。もちろん、中東の混乱の相当の部分は歴史的、宗教的、民族的な原因によるものだ。しかし、より本質的には、世界が「石油経済」に依存し、石油が「地理的に不平等」で、「再生不可能」で、資源として「持続不可能」であるがゆえに、人類が奪い合いを繰り返していることに、より根深い原因がある。この根本原因を解決しなければ、世界経済は「持続可能」とならない。

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